JRバス遠野線を辿る

 陸前高田から遠野まで、かつてのJRバス遠野線の代替路線を辿ってきました。

高田→川口

BRT陸前高田駅の駅舎は、震災前の駅舎をモチーフにした外観。待合室のほかみどりの窓口とトイレも設置され、昨今の下手な鉄道駅よりも余程しっかりしています。

 3月のある朝、けせんライナーで陸前高田駅に降り立ちました。現在けせんライナーは週末を中心に運行されているため、高田着を平日にしようとすると日程にやや制約があります。とはいえ朝7時に高田にいられるメリットは大きく、ほかの手段ではなかなか替えが効きません。この時間から開いている待合室で時間を潰し、7時14分発の陸前高田住田線に乗り込みます。

いかにもな国際2000番台。そろそろ意識して狙わないといけない時期になりつつあります…

 時間通りにやってきたのは国際LR。乗り込むと古めのバスの香りがふっと漂います。6HH1サウンドと最所ボイスの放送を聴きつつ、県交通はやはりこれじゃなくっちゃ…という気分に。1184は元大迫のクルマですが、車内に書かれた所属は「大迫」のままでした。他に利用客の姿もなく、だだっぴろい高田の町を走ります。

 県交通の陸前高田住田線は現在平日のみ4往復が運行されており、午前中の住田高校行きはイオン高田7時発のこの一本のみ。住田高校への通学を意識しているようにも見えますが、春休み中とあってか、生徒の姿はありませんでした。高田の市街地を抜けると、バスは気仙川に沿って快走します。このあたりは、バス停ポールも明らかにJRバスから引き継いだと分かるものが多数残っています。途中岩手横田付近では旧道へ。この旧道部分はフリー区間となっているようです。

気仙川を横目に見ながら進みます。

 大船渡からの国道107号との交差点を抜けると、まもなく世田米の中心部に入ります。世田米駅前バス停は、かつてのJRバス遠野線世田米駅の目の前。現在では、遠野線代替の県交通は構内に入りませんが、かつての駅舎なども健在で「JRバスの雰囲気」を感じられます。

世田米駅(この写真のみ2022年5月撮影)

 世田米を過ぎてしばらく走り、荷沢峠へ向かう国道107号と赤羽根峠へ向かう国道340号が分岐する川口交差点を直進した少し先が、住田高校前です。岩手八日町へ向かうならば川口バス停で降りるのが王道なのですが、せっかくなので終点の住田高校前まで乗ってしまいました。7時57分着。県交通による代替区間はここでひとまず終了し、この先は住田町コミュニティバスに乗り継ぎます。

住田高校前バス停。横の国道をこのまま進むと荷沢峠に至ります。

川口→八日町

川口交差点の少し先にあるフリー区間の注意看板。目隠しのテープが剥がれ、「ジェイアールバス東北(株)」の文字が見えています。

 住田高校前バス停から川口交差点まで徒歩で戻り、川口交差点から赤羽根峠方面へ進んだ先にあるのが向川口バス停です。朝のこの時間の上有住集会センター行きは向川口始発で、150m程度とはいえ徒歩連絡は必須です。(従って、厳密な完乗を目指すなら別の時間の乗り継ぎをおすすめします……)

 8時30分、時間通りに現れた上有住集会センター行きのバスに乗り込みます。やって来たのは白ナンバーのリエッセⅡでした。

向川口始発のこのバス、上有住から川口まで実車運行したあと住田高校前の転回所で転回し、川口バス停のバスベイで待機していた模様。なぜ川口始発ではなく向川口始発なのか……

 勿論音声合成は無し、運賃箱はバッタン式で車内にはラジオがかかり、The コミュニティバスな風情。バスは私一人だけを乗せて国道340号を進みます。途中の竹の原では、かつての転向場とおぼしきドーナツ型のスペースが左車窓を横切ります。この付近はJRバス→県交通のバス停ポールと住田町コミュニティバスのバス停ポールが並ぶ停留所が多くなっていますが、元JRバスのポールは現在1日1往復の急行盛岡大船渡線赤羽根峠経由便のみに使用されており、貼られた時刻表も寂しい内容になっています。国道を離れて上有住駅方面に折れ、気仙川を渡って八日町8時44分着。 八日町では乗り継ぎの時間に散策がてらJRバスの痕跡を探してみました。

旧岩手八日町駅舎

旧八日町転向場

看板に残る「JRバス 廻り場」

 

八日町→遠野

住田交運の営業所から遠野行きが登場。

 八日町からは、住田町コミュニティバス八日町遠野駅線で遠野へ向かいます。始発の上有住集会センターバス停は住田交運の営業所の真向かいにあり、八日町まで乗ってきた自家用登録のリエッセⅡもここで休んでいました。11時45分、緑ナンバーのローザが現れました。川口からのバスは自家用有償運送でしたが、ここからは緑ナンバーの乗合バスです。ワンマン機器も、両替機能のついた運賃箱に音声合成、降車ボタンと一通り揃っていました。ただ、音声合成は系統設定だけして途中では流しておらず、路線バスはアナウンスがあったほうが好きなタイプのオタクとしてはやや残念でした…

 

上家の手前の旧道に残る、ワンマン・バス運行への協力を求める看板。現在この区間は路線から外れていますが、この看板が建っているということはかつてつばめのバスが走っていたわけで…胸熱。

 八日町を出たバスは国道340号に復帰し、坂本川に沿って赤羽根峠を目指します。上家付近では、集落の上方を横切るバイパスを離れて旧道へ。Twitterで見かけた、かつて上家行きのJRバスが転回していたというスペースもそのまま残っていました。上家を過ぎると道幅は急に狭まり、坂本川に沿ってじりじり標高を稼ぎます。船作バス停を過ぎると左に大きくカーブを描き、開いてしまったバイパスとの標高差を埋めるための登りに取り付きます。谷筋の集落を抜ける細道からうねうねの峠道へ、いかにもJRバスといった道具立てが次々と現れテンションが上がります。(ただし、この登りは赤羽根トンネルが開通する前の赤羽根峠へのアプローチとは異なる道です。)

 なお、この付近の国道340号には前述した県交通の盛岡行き急行バスも走っていますが、そちらは一貫して現道バイパスを通っています。

赤羽根トンネルへのアプローチ。JRバスにはうねうねの峠道が必要なんだ!

 峠道を登りきると現道に合流し、赤羽根トンネルへ。トンネルを抜けると再び右に折れ、旧道へ下ります。岩手上郷の手前では、結構狭い釜石線の踏切を渡ります。(この踏切、その名を「第一盛街道踏切」というらしいのですが、盛街道は種山高原の方では…)岩手八日町は単に八日町と改称した一方で、岩手上郷はそのままなのも興味深いところです。ちなみに、車内の掲示物によれば八日町遠野駅線でも遠野市内では曜日限定上限200円「ニコニコバス」の対象になるようです。遠野市民限定という気になる注意書きも添えられていましたが…
 この辺りで睡魔に襲われ、気付いたら遠野病院のすぐ手前でした。12時23分、ほぼ定刻で遠野病院着。このまま遠野駅まで乗っていきたいところですが、寄り道のためここで下車します。

乗客ゼロで遠野駅へ向かうバス。時期や時間帯もあるとは思いますが、陸前高田駅から遠野病院まで、乗り合わせたのは陸前高田住田線の途中区間で乗ってきた1人だけでした。

遠野→西内

 まず始めに、恩徳じゃないんかい!というツッコミは甘んじて受けます(汗) や、時間が合わなくてですね…

 せっかく来たならかつての遠野北線にも乗っておこうということで、西内も往復してきました。接続が良いのか悪いのか、八日町からのバスで遠野駅まで行ってしまうと間に合わないため、遠野病院での乗り継ぎとなりました。

 12時33分、遠野バスセンターからやって来た土淵線に乗り込みます。車両は当然のように黄色いポンチョ。数年前はトップドアLRやE尺三オ、神奈中MEなどバラエティ豊かな陣容だった遠野も、いまではポンチョばかりになっていしまいました。

春の気配を感じさせる3月末の遠野盆地の、のどかな車窓風景が流れていきます。

 とはいえ、遠野ローカル最大のウリとも言うべきのどかな車窓風景は健在です。森田ボイスのアナウンスを聴きつつ車窓に流れる牧歌的な風景を眺めていると、煩わしい日々のことなどどうでも良くなってきます。飛び出し区間岩手山口では、JRバス時代からの転向場を利用して転回。その先の一の渡にも、転向場の跡が健在でした。一の渡を過ぎると、まもなく終点の西内です。13時9分、私を降ろしたバスは少し先の転回所へ走り去っていきました。川井方面から恩徳までの路線は既に無く、この先乗り継いで川井まで…というわけには行きません。大人しく折返しのバスで遠野駅前まで戻り、遠野線めぐりも終了です。

西内バス停の先で折り返してきた遠野バスセンター行き。恩徳行きの便でも西内~恩徳はデマンド区間となっています。

おわりに

 平日に自由が効く(恐らく)最後の春ということで、かつてのJRバス遠野線の代替区間を乗り歩いてきました。今のご時世に定時定路線バスで繋がっているだけでもありがたいとは思うのですが、八日町や赤羽根峠等々、このシチュエーションで3型や5型の国鉄カラーのバスだったら…というシーンが山盛りで、JRバス時代に乗れた諸兄が羨ましい限りです。

岩手八日町の街並み。雰囲気がたまりません。

 最近では高田側の陸前高田住田線の減量改正のため乗り継ぎの難易度も徐々に上がってきており、このタイミングで行けて良かったというのが正直な感想です。また、沿線にはかつての駅舎や転向場、バス停ポールが比較的多く残っており、JRバス時代を偲ぶことができました。ただ、2014年撮影のストリートビューではJRのポールを流用していた八日町遠野駅線の沿線は既に新しいダルマポールに交換済みで、残る県交通区間も減便などで明るい見通しは持ちづらく、バス停ポールや転向場跡でJRバスの気配を感じたいのならば早めの訪問が良さそうです。

 

 実は今回の乗り継ぎはバスコレレイアウトのロケハンも兼ねていたのですが、さて、模型に反映できるのはいつになるのでしょうか…

 

【2023年3月訪問】